一般床とユニット看護師どちらがいいのか?
こんばんは!
タイピング・ブラインドタッチができるようになりたいです。
職場でもパソコンを使用しているので、タイピングがもっと早くなれば仕事ももう少し早く終わりそうですし。
ブログ記事もスムーズに書いていきたいですし。
新しいパソコンが来たらアプリをダウンロードしたいと思います。
さて前回の続きです。
一般床とユニットに関する違いについては前回の記事を参考にしてください。
僕は一般床で5年、ユニットで約1年働いてますが『もう一般床には戻りたくないなー。これからも働くならユニットだな』と思います。
その理由をまとめていきたいと思います。
あくまで僕の個人的な見解です。
・一般床は受け持ち人数が多く、看護というよりただ業務をこなしているだけになってしまいがち
前回も書いた通り一般床では7~10人ほどの患者さんを受け持ちます。
僕は、脳卒中科と耳鼻科の病棟で働いていたので、日によっては受け持ち患者さんが全員寝たきりなんてことも多々ありました。
そうすると、体位交換・おむつ交換をしリハビリのタイミングに合わせて車いすに乗せて、胃管から経管栄養・内服薬を投与して・・・
と看護というより業務としてやらなければいけないことをこなしているだけだなーと感じてしまうことが多かったです。
もちろん、これを看護と捉えて仕事をしてる方もたくさんいると思いますが、僕はこんな風に感じていました。
時間内に終わらすことだけを考えて、看護は必要最低限って感じでした。
もっとやってあげたいことはたくさんあるのに、業務で手一杯になってしまいなかなかやりたいことまで手が回らないことに歯がゆさがありました。
・一般床はナースコールやセンサー音が止まらない
もうこれはやばいです。
本当に忙しい時は、5個も6個もナースコールがたまります。
それに加えてセンサーも鳴り、そこはもはや戦場です。笑
センサーが鳴ってすぐに対応しないと患者さんが転んでいたり、ベッドから落ちていたり・・・。
はい。ドクターコール。インシデント・・・って感じです。
仕事が増えるーって感じでした。
もちろん患者さんの無事を確認してからですが…
さらに働いているメンバーがナースコールを取らなかったり、センサー対応しない人たちばっかりだともっと最悪です。
ナースステーションにいるのにコール・センサー無視してずっとパソコンに向き合っている人がいます。
『耳聞こえないのか!?目見えてないのか!?』という感じでした。
そんな人と一緒だとコール対応をしているだけで1日が終わります。
コール全然取らずに仕事して定時になって「なんで仕事終わってないのー?」とか言われた日にはもう腹立って仕方なかったです。
『いやいや、あんたコール対応してないくせによく言うよな。つか逆にコール対応してないんだから定時で終わって当たり前だから。』と思ってました。
そして、職場じゃないのにナースコール音が耳に残って消えないなんていうのはあるあるですね。
・一般床は移動距離が長く単純に疲れる
ユニットはワンフロアなので移動距離はたかがしれてます。
一般床は広いので普通に移動しているだけでもかなりの距離を歩きます。
ナースコールで行き、センサーが鳴ったら行き、ケアをしに行きと何往復もしなきゃいけません。
以上僕が感じた一般床 で大変だったなと思うところです。
細かくはもっとありますが・・・。
ユニットについては次回まとめていきたいと思います。
一般床とユニットの違いとは?
こんばんは!
今回は一般床とユニット看護師どちらがいいのかということについてまとめていきたいと思います。
簡単に言葉の意味から書いていきます。
僕の個人的な解釈でもあるので、参考程度に読んでください。
僕は急性期の総合病院でしか働いたことがないので、療養病院や精神科病院とは違う部分は多いと思います。
・一般床
病状的に落ち着いた(急変リスクが少ない)患者さんが多い病棟です。
大部屋(4~6人)が基本的で、場所によっては何部屋か個室がある病院もあります。
病院によって多少異なりますが、科ごとに病棟がわかれている場所が多いと思います。
脳外科病棟・消化器外科病棟・循環器科病棟・腎臓内科病棟・・・という感じですね。
場所によっては内科病棟・外科病棟と大きなくくりでわけているところもあります。
病床数は約40~50床かなと思います。
看護加算は7対1(看護師1人に対し受け持ち患者さん人数は7人)や10対1です。
これも病棟によって異なります。
病状的に落ち着いているとはいえ、急変対応や緊急入院もあります。
また科ごとで病棟がわかれていても、病床が空いていると科が違う疾患の患者さんが入院してくることもあります。
・ユニット
ICUやHCU・CCU・NICU・SCUなどケアユニットと呼ばれる部署です。
ICU:集中治療室(集中治療が必要な患者さんが入室。大手術後やショック状態など)
HCU:高度治療室(一般床とICUの間。集中治療は脱した状態)
CCU:心臓外科や循環器疾患の患者さんが入室
SCU:脳外科の患者さんが入室
NICU:新生児の集中治療室
などなど病院によってない部署や逆に独自のユニットを設備しているところもあります。
病床数は8から10床程度で、入院加算は2対1~4対1だと思います。
ワンフロアにベッドがずらっと並んでいるのが一般的です。
患者さんの重症度やケア度が高い分、看護師1人当たりの受け持ち人数が少ないです。
点滴ポンプや心電図モニター・人工呼吸器・フットポンプ・・・など多くの機械が付いていることが多いです。
心電図モニターは必須ですね。
僕は一般床を経験し現在はICUで働いていますが、ICUで最初に疑問に思ったことは『なんでこんなに点滴ポンプ使うんだろう?手落とし(点滴ポンプを使わず滴下数を合わすこと)でよくない?』ですね。
ま、実際点滴ポンプを使った方が楽だし確実なんでいいですが・・・。
ここだけの話、看護加算を取るためだったりもしますね。
次回は僕が一般床とユニットどちらがいいかなどをまとめていきたいと思います。
人見知り克服へ~行動編〜
こんばんは!
毎日患者さんに『今日何月何日だかわかりますかー?』と質問しているわりに、自分が何日の何曜日か全く把握していない時があります。
この仕事は曜日感覚がなくなります。
日付もあまり気にしていないです。
さて以前、人見知り克服方法について何度かまとめました。
その記事で学んだことを活かして、実際に行動してみてどうだったかをまとめていきたいと思います。
今回は『人見知り克服へ~行動編〜』と題してこの間参加した看護師のイベントについて書いていきます。
・イベントを参加するに当たって、僕が意識したこと
人見知りであることを早めに公言する
自分が思っているほど周りは自分のことを意識していないのだから、あまり自分のことは気にしないようにしよう
なるべく笑顔でいる
話掛けられたら答える程度のスタンスで、無理しない程度に話そう
下を向かない
などを意識していました。
正直、ギリギリまで行くかどうしようか迷いました。
でも、これで行動しなければ何も変わらないし、行って楽しめなかったらそれはそれでいいやと思い参加しました。
結論から言うと、めちゃめちゃ楽しかったです。
新しい出会いがたくさんあって、あっという間に時間が過ぎていきました。
イベント終了後にたまたま帰りが一緒だっただけのメンバーで軽く2次会にも行きました。
職場の2次会には1回も参加したことないのに・・・笑
僕含めて3人でしたが、イベント中はほぼ話さなかった人でした。
それでも終電まで熱く語り合いました。
イベント参加人数は40人程度だったと思います。
男女比は5:5ぐらいでほぼ半々だった印象があります。
男性も多かったので、より馴染みやすかったです。
ちなみに僕はビール飲めません…笑
なぜ、人見知りの僕がこんなに楽しむことができたのか自己分析してみました。
・医療者という共通話題が合ったから話しやすかった
これが1番大きかったと思います。
初対面の方と会うと『何を話せばいいのか?何を聞いたらいいのか?』と質問に困ることが多々あります。
でも今回参加したイベントは医療者が集まると事前に知っていたので、最初の話題作りにさほど困らなかったです。
最初の話題に困らないのは凄く楽でした。
職場では人見知りせずコミュニケーションをとることができるのは、必ず共通の話題があるからなのかもしれません。
・男性が多かったので話しやすかった
看護師ってやはり女性が多い職場なので、男性看護師がいると自然と話やすいんですよね。
今回のイベントは男性が多かったので、わりと自然に過ごすことができました。
男性ばっかりで固まってしまいましたが、それはそれで楽しかったです。
病院勤務の方だけでなく、訪問看護や企業看護師をやっている方もいたのでいろんな話をすることができました。
熱い人が多かったという印象がありますね。
とにかく楽しかったので、参加して良かったと思いました。
やはり行動しなければ何も変わらないんだなと身を持って経験しました。
一歩踏み出すのは勇気がいるけれど、勇気を出して一歩踏み出してみて良かったです。
これからも人見知りを克服するために、行動していきたいと思います。
最後の医者は桜を見上げて君を想う~名言集③~
こんばんは!
小説内にこんなに名言があふれてるなんて思わなかったです。
名言が多かったのでもう少し紹介したいと思います。
・病気になった当人の意思に関係なく、周りの人間としては・・・
やはり、命の『長さ』の方に価値を置いてしまう。
いや、でもそんなことはとっくにわかっていたはずなのに。
桐子の知っている人物が、末期がんの状態とわかります。
今までは自分の考えが正しいと思っていたが、いざ当事者となると迷ってしまいます。
知っていることとできることは違います。
うーん。難しいですね。
いわゆる『延命治療』を受けている患者さんを多く見てきて、自分の親がもしこんな状態になるなら延命はさせないと思っています。
親自身もそれを望めばですが・・・
でも、実際本当にそういった状態になった時、同じことを言えるかは自信がありません。
どんな状態であろうと『長く生きてほしい』と望んでしまうかもしれません。
・患者の気持ちをわかったつもりでいたけれど、実際にはその一割も理解していなかったようだ。
やはり健康な状態と病気の状態には天と地ほどの隔たりがあるのだ。
実際に病気になってしまった医者の言葉です。
ここでは『患者』となっていますが、これを『弱者』に変えることもできます。
お金持ちは貧乏人のことはわからない。
経営者は労働者のことはわからない。
いじめる側はいじめられる側のことがわからない。
それなのに『弱者』のことを語るのは『強者』であることが多い気がします。
世界が分かり合えないのは、むしろ当然かもしれません。
しかし、分かり合おうとすることは大切だと思います。
患者さんは医者の気持ちはわからないし、医者も患者さんの気持ちを100%理解できるわけではありません。
患者さんの立場になって初めてわかることもあると思います。
・だけど・・・俺の望みは『ただ生きる』ことではないんだよ。
末期の状態ながら、あるイレギュラーな依頼をする患者。
止める医者に対して、患者が話したことです。
余命の1年をただ過ごすが、余命が1か月になりリスクを冒してでも意味のある1か月を過ごすか。
どちらの選択も正しいと思います。
大事なのは『患者さんの意志』ですからね。
最後に意味のある期間を過ごすことができるのなら、たとえ余命が短くなってもありたいことをやって死にたいですね。
以上小説内に出てくる億が名言だと思う部分をまとめさせていただきました。
調べてみると、続編もあるようなので読んでみようと思います。
映画化されるという話も出ているみたいです。
最後の医者は桜を見上げて君を想う~名言集②~
こんばんは!
『最後の医者は桜を見上げて君を想う』の名言集第2弾です。
・奇跡の存在を患者に押し付ける。
それがどれほど残酷なことかわかっているのか?
延命治療中に奇跡が起こる可能性があるため、絶対に諦めてはいけないと話す福原。
その考えを押し付けることの残酷さを話す桐子の言葉です。
『奇跡』が起こることは確かにあります。
でも奇跡を待ち続けたけれど起こらなかったという場面のほうが圧倒的に多いのが現実です。
簡単に『奇跡を信じて頑張りましょう』なんて言えません。
ただ奇跡を信じたくなる気持ちもわかります。
・世界って生きていく人の場所なんですよね。
自分が病気になって、初めて知りました。
世界は私を❞近いうちにいなくなる人❞と扱いざるを得ない。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患した少女が話したことです。
患者さんは医者を目指し3浪した末、医学部に入学した矢先でした。
普段は何も気にせず生活していますが、病気にかかり不自由な生活を送るようになると、普段の何気ない生活が急に不便の感じるのです。
いくらバリアフリーが進んでいるとはいえ、そんなのたかがしれています。
周りの視線も気になるでしょう。
僕は職場や看護学生時代に患者体験をしたことがありますが、まあ不便なことがたくさんありました。
普段は何も気にならないちょっとした段差さえも、どうやったら登れるのか?と考えなければなりません。
こんなことが毎日続くのです。
『生きていく人の場所』という言葉で考えさせられました。
街中で困っている方を見た際は、声をかけていきたいなと思います。
・困難は、前に進まない理由にはならないさ。
何とかするんだよ。
先ほど紹介したALSの患者さんに対して、医学生を続けるか退学するか担当医とな音山、桐子、福原で意見が分かれます。
奇跡の可能性を信じる福原は対応方法はいくらでもあることを話します。
確かに対応方法はあります。
ただそれには周りの協力や理解、お金、その他様々な困難があります。
最終的に大切なのは『本人の意志』だと思います。
ALSは治療法が確立しておらず、徐々に体の自由が利かなくなり、最後は呼吸筋の機能低下で人工呼吸器なしでは生きていけなくなります。
病状の進行度は人それぞれですが、最後に残る道は『一生人工呼吸器で寝たきりの生活』か『死』です。
若くして罹患するとより進行が速いと言われています。
『困難は前に進まない理由にはならない』
それはそうだとは思います。
しかし、困難に立ち向かう権利と同じぐらい、立ち向かわない権利もあると思います。
最後の医者は桜を見上げて君を想う~名言集~
こんばんは!
前回の記事の続きです。
『最後の医者は桜を見上げて君を想う』の小説内に出てくる名言を紹介していきたいと思います。
名言が多かったので何度かに分けて更新予定です。
ネタバレしてしまう部分もあると思うので、前回の記事で気になった方は実際に本を読んでから、このブログを読んでほしいです。
では紹介していきます。
・理解してくれ、とは一言もいってないんだけどな。
僕たち医者が歩み寄るべきは患者であって、医者同士が理解し合う必要なんてないだろ。
延命治療を了承していた患者が、桐子との面談後治療を断ることを決断します。
桐子は延命治療を否定しているわけではありません。
延命治療を本当に望んでいるのかを考えさせただけに過ぎないのです。
・どこまで受け入れられますか。
具体的にどこまでだったら、自分の命の対価に差し出せますか。
どこまで差し出せるかとは、どこまで命に価値を見いだせるかと同義の質問でもあります。あなたにとって命とは、どんなものですか。きちんと考えたこと、ありますか。
桐子が延命治療を受ける患者に問いかけたことです。
みなさんは『自分の命』について考えたことありますか?
僕は正直ありません。
何かを犠牲にしても命が助かるとしたらどこまで犠牲にできますか?
例えば交通事故にあって、足が車の下敷きになって出られない。
足を切断する代わりに命が助かるとしたらどうしますか?
あくまで例えの話ですが、現実いつ起こってもおかしくありません。
もしかしたら明日かもしれません。
明日も無事に過ごせるなんて保障はどこにもありませんからね。
僕がもしこのような事故にあったら、足を切断することを選ぶと思いますね。
でも、一生機械を付けての生活になる、常に誰かの助けが必要となる生活になるなら延命は希望しないと思います。
・僕たち医者は患者を救おうとするあまり、時として病気との戦いを強いるのです。
最後まで、ありとあらゆる方法を使って死から遠ざけようとする。
患者の家族もそれを望む。
だけどそれは、はたして患者が本当に望んでいた生でしょうか?
医者や家族の自己満足でないか?
医療者は患者さんが長生きすることが患者さんや家族にとって1番いいことだと考えている人が多いように感じます。
もちろん病院は『治療する場』であるので、僕自身も『患者さんを救いたい』という思いで働いています。
でも、それ以上に『最後までその人らしくいてほしい』と思います。
疾患や治療によっては人格を失ってしまうこともあります。
そんな患者さんの姿を見て『治療をしないほうがよかったのではないか・・・?』と思うときもあります。
治療にはすべてリスク(合併症など)が伴います。
最悪そうなっても構わないという覚悟が必要です。
そんな覚悟簡単にはできないですよね…
患者さんを長生きさせることがその方にとって本当に幸せなのか?
こんばんは!
最近読んだ本の紹介です。
タイトルは『最後の医者は桜を見上げて君を想う』
なんとなくタイトルで気になったので購入してみました。
宮古島旅行の往復の飛行機内で読みました。
機内じゃなければ泣いていたかもしれません。
あくまで小説の話ですが、いろいろ考えされられる部分がありましたので紹介したいと思います。
作者は二宮敦人さんです。
この方の小説を読むのは初めてだと思います。
・あらすじ
あなたの余命は半年です。
ある病院で、医者である桐子は患者にそう告げた。
『死神』と呼ばれる彼は『死』を受け入れ、残りの日々を大切に生きる道もあると説く。
だが、副院長である福原は奇跡を信じ最後まで『生』を諦めない。
対立する2人が限られた時間の中で挑む戦いの結末とは?
究極の選択の前に、患者たちは何を決断できるのか?
それぞれの生き様を通じて描かれる、眩いほどの人生の光。
息を呑む衝撃と感動の医療ドラマ。
僕はこのあらすじに惹かれて購入しました。
医療者が『死神』と呼ばれるなんてとても不名誉なことですよね。
きっと患者に興味がなく、全然患者と関わろうとしない医者なんだなとあらすじを読んだ時は思いました。
メインの登場人物は3人の医者です。
・奇跡が起こる可能性を信じ、最後まで最善を尽くす医師の福原
・病気の進行度、治癒の可能性、どう生きて死ぬのが患者のためなのかを考える医師の桐子
・その同期2人の仲裁役で、どうすることが患者にとって最善なのか模索する医師の音山
この3人を中心に物語は進んでいきます。
本は3部構成になっているので読みやすかったです。
1.とある会社員の死
2.とある大学生の死
3.とある医者の死
という構成になっています。
見てわかる通り、どの章でも人が亡くなります。
その人がどう生き、どう最後を迎えたいのか。
福原と桐子は自分の信念を信じ真っ直ぐ進んでいきます。
音山はその2人に仲良くしてほしいと思いながらも、自分はどこで医者と信念をなくすてしまったのか、自分はどんな医者になりたかったのかと模索します。
僕は病院で6年間働いていますが、桐子のような医者には出会ったことがありません。
というか世の中にこんな医者いるのか?と思うぐらいです。
福原のように最後まで奇跡を信じ治療を諦めない医者がほとんどです。
ですが、桐子のような医者も必要だと思います。
奇跡を信じることは大切ですが、患者さんがその人らしく最後まで生を全うできるようにサポートすることも大切な医療者の仕事じゃないかなと思ったりします。
入院患者さんの中には簡単に言うと延命されているだけの方もいます。
そんな姿を見て『この治療を受けて患者さんは本当に幸せなのかな?』と思うことがあります。
多くのルートが挿入され、そのルートを自己抜去しないように抑制され、鎮静剤で眠らされ・・・。
『この状態って幸せなのかな?』とふと思ってしまいます。
もちろんそれが患者さんにとって必要な医療行為なのですが・・・。
第1章で桐子は患者に「病気に勝つには、死ぬのも一つの方法であると思いませんか?」といいます。
衝撃ですよね。
僕は何度も医者から家族へのムンテラ(病状説明)に立ち会ったことがありますが、こんな言葉を聞いたことはありません。
だいたいは「まだ可能性はあります」や
「次はこの治療をやってみましょう」
せめて「現状かなり厳しいです。やれるだけのことはやります」程度です。
この小説を読んで、『生きるとは何か。死ぬとは何か。』と何度も考えました。
正解なんてありません。
ただ自分自身が信じた道を、自分が生きたい道を選んでいくのがいいのかなとは思いました。
次回は小説内の名言等をまとめたいと思います。