最後の医者は桜を見上げて君を想う~名言集~
こんばんは!
前回の記事の続きです。
『最後の医者は桜を見上げて君を想う』の小説内に出てくる名言を紹介していきたいと思います。
名言が多かったので何度かに分けて更新予定です。
ネタバレしてしまう部分もあると思うので、前回の記事で気になった方は実際に本を読んでから、このブログを読んでほしいです。
では紹介していきます。
・理解してくれ、とは一言もいってないんだけどな。
僕たち医者が歩み寄るべきは患者であって、医者同士が理解し合う必要なんてないだろ。
延命治療を了承していた患者が、桐子との面談後治療を断ることを決断します。
桐子は延命治療を否定しているわけではありません。
延命治療を本当に望んでいるのかを考えさせただけに過ぎないのです。
・どこまで受け入れられますか。
具体的にどこまでだったら、自分の命の対価に差し出せますか。
どこまで差し出せるかとは、どこまで命に価値を見いだせるかと同義の質問でもあります。あなたにとって命とは、どんなものですか。きちんと考えたこと、ありますか。
桐子が延命治療を受ける患者に問いかけたことです。
みなさんは『自分の命』について考えたことありますか?
僕は正直ありません。
何かを犠牲にしても命が助かるとしたらどこまで犠牲にできますか?
例えば交通事故にあって、足が車の下敷きになって出られない。
足を切断する代わりに命が助かるとしたらどうしますか?
あくまで例えの話ですが、現実いつ起こってもおかしくありません。
もしかしたら明日かもしれません。
明日も無事に過ごせるなんて保障はどこにもありませんからね。
僕がもしこのような事故にあったら、足を切断することを選ぶと思いますね。
でも、一生機械を付けての生活になる、常に誰かの助けが必要となる生活になるなら延命は希望しないと思います。
・僕たち医者は患者を救おうとするあまり、時として病気との戦いを強いるのです。
最後まで、ありとあらゆる方法を使って死から遠ざけようとする。
患者の家族もそれを望む。
だけどそれは、はたして患者が本当に望んでいた生でしょうか?
医者や家族の自己満足でないか?
医療者は患者さんが長生きすることが患者さんや家族にとって1番いいことだと考えている人が多いように感じます。
もちろん病院は『治療する場』であるので、僕自身も『患者さんを救いたい』という思いで働いています。
でも、それ以上に『最後までその人らしくいてほしい』と思います。
疾患や治療によっては人格を失ってしまうこともあります。
そんな患者さんの姿を見て『治療をしないほうがよかったのではないか・・・?』と思うときもあります。
治療にはすべてリスク(合併症など)が伴います。
最悪そうなっても構わないという覚悟が必要です。
そんな覚悟簡単にはできないですよね…