違いを受け入れ理解しようとすること
こんばんは!
今日もまたまた看護学校編ではない記事になります。
すみません。
今週中には必ずアップします。
少々お待ちください!!
今日は夜勤明けだったのですが、夜勤中起こったことを記事にしたいなと思いました。
夜間、緊急入院の連絡が入りました。
カルテを見てみると、日本在住の家族に会いにいた日本語の話せない外国の方の入院でした。
僕が受け持つわけではなかったのですが、どうやってコミュニケーションをとっていけばいいのか夜勤メンバーと話していました。
そんな時先輩が『日本に来るのに日本語が話せないことが悪い。こっちが合わせる必要はない。全部日本語でいいんじゃない?』と言いました。
本心かどうかはわかりませんが、僕は正直そんなことある?と思いました。
じゃああなたは、どこか海外旅行に行く時その国の公用語を完璧に話せて理解できる状態で行くんですか?と思いました。
口には出せませんでしたけど…
確かに、僕たち医療スタッフも言葉が通じないことでたくさんの不便があります。
確認したいことが伝わっているか、理解できているのか。
そもそもこの通訳があっているのか確認できないなどなど…
だからといって、こっちが全く歩みよろうとせず突き放すのは違うよなーと思います。
言葉の通じない国で過ごすことだけでもなれるまで大変だと思うのにその上、体調不良で緊急入院。
自分がその立場だったらどうでしょう?
不安ですよね?
少なくとも僕は不安で不安でたまらないと思います。
そんな時、全くわからない現地の言葉で話させるより少しでも理解できるように非言語的コミュニケーションや文字盤、今は携帯で通訳アプリなんかもあるので、そういったものを駆使して、関わってくれた方が安心しますよね。
僕らも何とか通訳アプリを駆使して、コミュニケーションをとりました。
伝わっていたかはわかりませんが…笑
でも、時折笑顔を見せてくれたのでとりあえずは安心しました。
僕は英語はもちろん、他の言語もわかりませんが、わからないからといって拒絶するもではなく、どうにか理解できるよう歩みよろうとする心は忘れたくないですね。